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SAGA HIRAKAWAYA

佐嘉平川屋について

2021.04.05

佐嘉平川屋の歴史 其の四 – 父の代 第三話 – お客様のご要望により実現した佐嘉平川屋の通信販売

佐嘉平川屋 三代目の平川です。

「父の代」第三話は、わたしたちが通信販売という販路にいたった物語をお伝えしたいと思います。

これまでの物語

祖父の代(1950年〜1968年)「佐嘉平川屋 はじまりの物語」

父の代(1968年〜2006年) 第一話 工場を新設し法人化した、先代の大きな決断

父の代(1968年〜2006年) 第二話 激しい価格競争の渦中で生み出された「温泉とうふ」

お客様のご要望により実現した佐嘉平川屋の通信販売

温泉とうふの販売を開始した2年後の1989年、幸運が訪れます。

残念ながらお亡くなりになりましたが、佐賀県出身の元プロ野球選手加藤博一さんが、「温泉湯豆腐をお歳暮で使いたい」と言っていただいたのです。

お豆腐は、重量の割に価格が安く、壊れやすくて賞味期限も短い、しかも冷蔵であるため、一般的には通販にもっとも向かない商品の一つです。しかしながら、せっかくの申し出であったため、どうにか輸送できる体裁を整えていきます。

そこから、佐嘉平川屋の通販が始まりました。

温泉とうふ

一方で、1990年代に入りバブルが崩壊します。

バブル崩壊によって豆腐の需要が一気に縮小したわけではありませんが、低価格商品によりニーズがシフトしたこと、スーパーのチェーン化によって他県のスーパーが佐賀に進出してきたことにより、県内スーパーと県外スーパーの競争も激化し、これまで以上にスーパーからの値下げ圧力が強まりました。

父が体を壊して一時入院していたことがありましたが、退院直後にスーパーのバイヤーが自宅に押しかけ、値下げを迫ったと言います。

そうこうしているうちに、1997年、佐賀県内でもっとも大きく、多くの店舗を持っていたスーパーが倒産します。 うちも大きなウェイトを占めていたので、大打撃を受けます。

その後数年間、そのスーパーの倒産の影響を引きずり、深刻な状況に追い込まれて行くことになり、そんな中、2000年に私がジョインすることになります。

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