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SAGA HIRAKAWAYA

佐嘉平川屋について

2021.04.05

佐嘉平川屋の歴史 其の二 – 父の代 第一話 – 工場を新設し法人化した、先代の大きな決断

佐嘉平川屋 三代目の平川です。
「父の代」として1968年〜2006年の物語をお伝えしたいと思います。

第一話は、工場を新設し法人化した父の大きな決断のストーリーです。

これまでの物語

祖父の代(1950年〜1968年)「佐嘉平川屋 はじまりの物語」

工場を新設し法人化した、先代の大きな決断

20代半ばで豆腐屋を継いだ父は、当初は非常に商売も順調だったといいます。

その頃は、自宅に併設されていた工場の中で、ご近所の人たちに手伝ってもらいながら、朝早くからお豆腐を作っていました。 私もおぼろげながら、自宅でお豆腐を作っていた記憶が残っています。

その後、私が小学校に入学する前ぐらいに、父は思い切って新しく工場を作り、法人化することになります。当時は豆腐屋が工場を作るなんて生意気だといわれるような時代で、父にとっても大きな決断だったのだろうと思います。 父は、どうしても生活の場と仕事の場を分けたかったと言っていました。

この頃も、近所の商店でもお豆腐がよく売れていたらしく、現在のコンビニよりもはるかに小さなサイズのお店でも簡単に1日数百丁売れていたといいます。

父はもともと非常に几帳面で、毎日コツコツとデータを記録しながらお豆腐づくりに励む根っからの職人タイプであり、佐嘉平川屋のDNAはこの頃から形作られていたのだと思います。

佐嘉平川屋のお豆腐

早朝からお豆腐を作り、その後お豆腐をトラックに乗せてお店に配達に行く生活をしながら、徐々に周辺地域から県内各地に販路を広げて行くことになります。 私も小さい頃、一緒にトラックに乗ってあちこちのお店に納品に行っていたことをよく覚えています。

父の代(1968年〜2006年) 第二話 激しい価格競争の渦中で生み出された温泉とうふ

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