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SAGA HIRAKAWAYA
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佐嘉平川屋について
2022.02.24
こんにちは。
佐嘉平川屋代表の平川です。
先日、ICC(Industry Co-Creation)というカンファレンスが福岡で開催され、そこでクラフテッド・カタパルトというものづくり企業による7分のピッチでプレゼンさせていただきました。
登壇者は熱い志と猛烈なパワーで活躍されている方ばかりで、皆さんの素晴らしいプレゼンに圧倒されながらも、私が会社を継いでから今に至るまで、そして、豆腐屋の現状と目指すべき方向性についてお話しさせていただきました。
ものすごく簡潔にいうと、「危機的な状況であった実家の豆腐屋を、温泉湯豆腐のクオリティーの向上、新たな食べ方の提案、卸以外の販路の開拓によって、再生することができた。このことが佐賀の豆腐文化を進化させることに繋がったのではないか。このやり方をさらに発展させることで次世代の豆腐屋のロールモデルになれるのではないか。」という話です。
根底にあるのは、今後どうしたら厳しい状況に追い込まれている豆腐屋を存続させていくことができるのか、さらには食品に限らず工芸などものづくり企業がどうやったら生き残っていけるのか、という問いです。
なぜうちが再生できたかといえば、端的にいうと温泉湯豆腐を通販を主体に販売したからです。このことを抽象化すると、地域という参入障壁の高い要素で差別化することで価格競争が起きづらくするとともに、価格決定権が握れる販路を開拓し自分で値段を決められるようになったから、ということになります。
私が豆腐屋に入ったころ、スーパーから事あるごとに値引きを要求されました。そのころはスーパーへの依存度が高く、取引を継続するために値引き要求も無下には断れませんでした。なので、スーパーが主導権を握るような状況をどうにか打破したかった。上から目線でこき使われるのではなく、対等な立場で商売がしたかったのです。
だからこそ、温泉湯豆腐を徹底的に磨き上げ、通販を開拓し、ブランド強化のために店舗を作り、スーパーに依存しないで済むような環境を作っていきました。
1960年、豆腐屋は全国に50,000軒以上ありました。現在のコンビニ並みです。
しかし、現在では5,000軒ほどであり、ピーク時の10分の1程になっています。今でも毎年4-500軒ほど倒産や廃業に追い込まれています。
これまでのように価格競争の激しい卸を主体にした販路では、価格競争に巻き込まれ、経営的に厳しくなってしまうのが実情です。
それに経済的な問題だけではなく、社会的地位も給与水準も低く労働環境も悪いため、ますます人が集まらなくなり、技術の継承ができない、そもそも日々の作業ができない、ということも既に始まっています(数年前、比較的規模感もあって業績も悪くないと思っていたところが、人手を確保できないことを理由に、立て続けに廃業に追い込まれることがあって衝撃を受けました)。
豆腐業界全体で取り組むべき課題ですが、まずは私たちが、地域性による差別化と価格決定権が握れる販路の開拓という今までのやり方を更に進化させ、収益性が高く、社員が誇りを持ち、労働環境も給与水準も悪くない新しい豆腐屋の形を作ることで、豆腐屋の可能性を指し示すことが重要だと思っています。
そのためにもまずは温泉湯豆腐を誰もが知っているレベルに広めたいと思っています。
応援いただければ幸いです。